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2018年12月9日(日)の日記

トーチマン・トーチ火炎拳

店員「お客様、何かお探しでしょうか?」
客「出口を……」


 レーダーマンは1980年頃発表された曲にして、その歌詞は来るべきスマートフォン社会を予言していたのではないか、と思わせる描写がある。むしろこれが本当にスマートフォン社会のことを表現した歌詞だったとしたら、やや直接的過ぎてつまらないくらいなのだ。
 「どんな情報も見逃さないが 自分捕らえる機能はない」からは、どんな情報でも見られる手元の機械に集中し過ぎて前から来るトラックに気がつかない様子や、画面に映る世界中の情報を見ながらご飯を食べる人の、自分が回りからどんな風に見えているのかが分からなくなっちゃった様子がありありと感じ取れる。
 「プリントされた記憶と知識」も、短い一文の中に情報源を世界で共有することで起きてしまった問題がよく表れている。

 頭の中はテレビジョンであり、超音波でお話しする、群れ成した人類の様子はあたかも  違う違うこっちは昆虫軍か。
 似たようなもんか。

 今となっては携帯電話も古い道具になってしまったけれど、当時の感覚で見ると、普及し始めたばかりの携帯電話はこんなにロボット的であり、全ての情報が集まるような凄い機器といった印象だったのか。
 ……と思っていたけれど、携帯電話の一般普及は2000年頃。レーダーマンはそれよりも15年も前にこの歌詞で歌われていたのだ。じゃあ一体何を見て、何を感じて書かれた歌なんだ、レーダーマン。
 技術の進歩とともに人間性を失う未来人に対する漠然と不安なイメージって、もしかして昔からずっと共通なのか?
 オズの魔法使いのブリキの頃から、心を失った未来人は銀色の金属になっていくイメージだというのか。


「レーダーマンになれないあの娘は 泣き叫びながら連れ去られ」
 こんな状況はさすがにまだ起きていないが、たぶんこの先そうなっていくんだろうな、という諦めだけがある。
 
 現にまだスマートフォンにしていない携帯ユーザーに対しては、携帯会社から嫌がらせの迷惑メールが毎日のように送られてきているのだ。勘弁して欲しい。
 そんな妄言を毎日聞かされ、悲しみに暮れる家族達。

 レーダーマン。


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[ 2018/12/09 00:00 ] 無印 | TB(-) | CM(0)

2018年11月15日(木)の日記

ラバーマン4コマ1A
ラバーマン4コマ1B


 ラバーマンはシンプルでいいデザインだと思うけど、きれいな丸をたくさん描く作業は意外と精神を磨耗するぜ。


 ちょっと気になっているのだけれど、みんな何を求めて、どういう動機でゲームをやっているの?
 敵を倒す瞬間の演出が気持ちいいとか、敵の攻撃を上手に避けられた時が爽快みたいな動機はもちろんあると思うし、ゲーム性から離れて、曲が好き、絵が好き、というのもあるだろう。好きな声優さんが出てるから、とか、友達との会話に置いていかれたくないから、というのだって立派な理由だね。
 もちろん、自分の欲求の全てを完全に把握できてる人なんていないから、いろんな欲求がいろんな割合で交じり合っているのが実情なんだろうとは思うけれど、その中にはほぼ間違いなく、「人にはできない難しいことが自分にはできた優越感」というものが入っているはずなんだ。それがゲームの根本だから。
 最近はオンラインランキングだったり、プレイ動画をアップロードしたりで、人に自慢しちゃおうの部分が分かりやすく実体化というか可視化されてきた部分はあるけれど、そんなものが無かった昔から、この優越感がゲームをする動機になっている部分は確実にあって、難しいとされるゲームの場合はそれが特に顕著だったわけだ。自覚の有無に関係なく、誰かに自慢したくてゲームしてた部分はあったわけだね。


 つまり……つまりね、ずいぶん遠回りした言い方になってしまったけれど、何が言いたいのかというと……
 「難しくてクリアできないなら、自分にあった難易度で遊べば?」
 って、ロールちゃんに言われるのキツくないすか?

 一応、博士(上の立場の人)からの伝言であるという救済は入っているし、それでも頑張るなら最終的には好きにしなさいという父親的な優しさも入れてくれてはいるけれど、それでもロールちゃん(妹)から
「あんた下手なんだからイージーモードでやれば?」
という内容の事言われるの、キツくないすか?

 かといって、ワイリーが「お前はイージーモードでもやっておれ! ワハハハハ!」と言ったら、逆の意味にとられちゃうし。
 ブルースが11に出てたらなぁ。ブルースに言って欲しかったなぁ。


 最近始めたばっかりみたいな人が11を普通のモードで遊んで、「難し過ぎる。やーめた。」って言われちゃうのは困る、少しでも楽しさを体験して欲しい、というのはわかるんだよね。すごくわかる。

 9の時は上に2段階の難しいモードがあって、完全に10年ぶりのファミコンドットロックマンを買うような層を向いていたものが、10では上下に1個ずつの難易度という標準的な形になり、11ではイージーモードを2段階もつけて、モードの名前も変えて抵抗を減らして、間口を広げる方向にシフトしてきているわけだ。
 トゲでも穴でも死なない一番簡単なモードなんてもしかしたらダミーで、苦手な人にやってほしい本命はアドバンスドなんだけど、その下にもう一段階めちゃくちゃ簡単なニューカマーを用意することで、イージーモードではあるが最低難易度で遊んだわけではない、という自尊心を担保する工夫だったんじゃないかとすら思うんだよね。

 それでもやっぱり「クリアできた俺」という原初の旨味の減少はあって。
 簡単なモードを用意すれば即解決とはいかないのが、根深い。
 

[ 2018/11/15 00:00 ] 無印 | TB(-) | CM(0)

2018年11月4日(日)の日記

アシッドマン

 時間余っちゃったけど、この後どうしよっか? あずき研ぐ? 人とって食う?


 仕事が長引き夜遅くに会社を出ると、社ビルの入り口が大勢の人で囲まれていた。
 使い込みがばれたか!? と一瞬肝を冷やしたが、カメラのフラッシュが私に向かって閃くこともなく、お互いに一定の距離をあけつつ、皆スマートフォンをただ見つめている。

 おそらく、何か珍しいポケモンが出たのだと思う。

 すいませんすいません、道を空けて下さい、すいません、と人ごみを分けて、私はなんとか家路についた。


 サービスの開始からだいぶ経つのに、まだあれだけの大人を深夜にもかかわらず動かせる力があることには正直驚く。
 もし悪い人が違法ポケモン発生装置などを作り、新種の珍しいポケモンが出るよーなどと偽情報を流しつつポケモンを発生させることができたら、特定の時間と場所を狙って人ごみを作り出すことにより、警察の足を止めるなどの悪用ができてしまうのではなかろうか。昔映画で見た、犯人がお金をばら撒いたら市民が群がってきてパニックがおこり、警察が犯人を取り逃がすやつのサイバー版だ。
 人々の間にひらひらと舞う札吹雪が、未来でよもやポケモンに取って代わられようとは思いもよるまい。
 未来になっちゃった感じだけはビンビンきている。


 その悪人が、私の家の中にポケモンを発生させたらどうしよう。
 朝出かけようとして玄関を開けたとたん、スマートフォンを見つめた人達が家になだれ込んできたらどうしよう。
 せめて いえき とか吐かないポケモンだといいな。

[ 2018/11/04 00:00 ] 無印 | TB(-) | CM(0)

2018年10月25日(木)の日記

ブロックマン


「あっ これドクターフィッシュじゃない!!」

-解説-
 あっ これドクターフィッシュじゃない という文章の中には、ドクターフィッシュだと勘違いしていたけれどドクターフィッシュじゃなかった、という情報しか含まれていない。よって、へー、ドクターフィッシュではない何かだったんだ、へー、という情報の受け取り方しかしない人にとって、この文章はそれ以上の価値を持たない。もしくはその人は話し手である貴方のことを愛していない。

 しかし普通の人には想像力というものがあるので、普通の    普通はあるよね? 普通のことだよね?   まぁ、あるので、この文章を見たり聞いたりした際、想像で空いた隙間を補ってしまうため、ドクターフィッシュではなかった、というだけの情報で留めておくことの方が難しいくらいである。

 では、どのような想像を付け足してしまう可能性が考えられるか。
 ひとつは、水槽から足を上げたらくるぶしから下が骨になっていて、ドクターフィッシュではなくピラニアみたいな肉食魚だった、というパターンがある。得体の知れない小さなモンスターの群れでもよい。
 想像される絵がショッキングであり方向性もブラックなので、子供やそれに準ずる人にうけがいい。海外のアニメなどでたまに見かけるやつである。

 もうひとつは、ドクターフィッシュなどではない、普通の熱帯魚の水槽に足を入れてしまっている人の絵である。錦鯉の池などでもよい。
 先ほどの想像例も取り返しのつかないことではあるが、こちらはこちらで違う方向に取り返しがつかない。こちらの取り返しのつかなさで背筋がひんやりするのは、おそらく責任ある大人である。先ほどのようなショッキングさこそないが、じんわりした悲壮感や滑稽さが浮かび、主に大人にうけがいい。ドクターフィッシュと勘違いした魚が高価なら高価なほど面白い。

 主な想像はこの二つだと思うのだが、どちらの想像が正解だとかいうことはない。
 ドクターフィッシュ構文の本当の大事なところは、どちらの想像もできるし、どちらの想像をしても成立しているね、ということに気づくことである。
 ひつまぶしは途中で味が変わっていくから価値があり、チーズフォンデュは自分でつけるから楽しい。それと同じように、どっちでもいけるね、という事実に自分で気づく瞬間に文章としての一番の旨味が含まれているのである。
それゆえに余計な説明は足さず
 「あっ これドクターフィッシュじゃない!!」
で止めておく必要があるのだ。


 ドクターフィッシュ丼を食べようとしたら違う魚だった、足に違和感があるので靴を脱いで逆さにしてみたらドクターフィッシュじゃなくて小石が出てきた、実家でドクターフィッシュと呼んでいたものが数十年間換えずに真っ黒になった風呂の湯だったことに気づいた、という想像もできなくはないが、あの短文からそんな特異な状況を想像しろ、というのははっきり言って無茶だし、そんな想像がすんなり出てくると思っているなら、貴方に友達がいないのはそういうとこだぞ。見つめなおせ。


[ 2018/10/25 00:00 ] 無印 | TB(-) | CM(2)

2018年10月15日(月)の日記

ツンドラマン

 フリースタイルロックマン、とても面白かったし、なんなら自分も誰かとやりたいけど、これ万が一流行ったら大っ嫌いになるやつだ。


 つぶあん派・こしあん派という派閥があることを近年になってから知った。
 私はどちらも好きなので、あんなもんどっちも一緒じゃろうがと思っているのだけれど、どうやら人によってずいぶん違うらしい。昔はそんな派閥なかったと思うが、些細なことでも対立構造に持っていこうとするのは、人類皆兄弟をモットーに育てられて、握った拳のぶつける先を失った現代人の悪い習性だね。外宇宙からやってきた侵略宇宙人の母船に核でもポンスコ撃ち込めば、その瞬間だけでももっと平和になるんじゃないの。もしくはDNAからマンモスでも復活させて、繁殖させて、みんなで狩れば? 運動になるよ?

 そんな昨今である。
 つぶあんとこしあんが半分ずつ入った「ダブルあんぱん」なるものが売られていた。
 餡と生クリームではない。生クリームとカスタードクリームでもない。つぶあんとこしあんでダブルなのである。
 いくら派閥ができるような差があるからといって、そのダブルあんぱんを食べて
「つぶあんとこしあん、両方の味が楽しめて美味しい!!」
 などといった感想を期待するのは、人類にはちょっと早過ぎたのではないだろうか。

 というかね、つぶあんとこしあんって、一緒に食べたら全部つぶあんになるだろ。


 この発言に激怒したのが、日頃のつぶあん派の横暴を腹に据えかねていたこしあん派の将軍、輿沖甘太郎である。
 こうして勃発したつぶあんこしあん戦争、通称”甘味戦争”は、餡に覆われ、黄粉立ち込める戦場の中、みたらしでみたらしを洗う凄惨な様相を呈した。両軍合わせて38万人もの若者が尊い命を落とし、17人の老人が餅をのどに詰まらせ帰らぬ人となった。
 開戦から4年後には、疲弊しきった両軍の間で平和協定が結ばれることとなる。こしあん派将軍、輿沖甘太郎と、つぶあん派将軍、口福堂粒庵の出席する協定の席では戦火の口火となったダブルあんぱんが振舞われ、それを適当に二つに割り、適当に分けて食べることで、悲惨な戦争は幕を閉じたのである。
 
 なお、この戦時中、両軍は自軍の人々が敵軍の餡を食べることを互いにきつく禁じており、町には餡見回り兵が常に厳しく目を光らせていたという。
 こうした監視の目を逃れてこっそり餡を食べるために、魚の形を模したタイヤキが開発されたと言われている。
 勉強になりますね。


[ 2018/10/15 00:00 ] 無印 | TB(-) | CM(0)
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